動画配信サービスの「U-NEXT」より興味深い内容のドキュメンタリー番組が4月より配信されているので紹介します。タイトルは「タイガーウッズ/光と影」。そうです、タイガー・ウッズ選手の半生を描いた番組です。
鳴り物入りでプロデビューしてからのタイガー・ウッズ選手の活躍はゴルフ界のみならず、世界のスポーツ界に大きなインパクトを与えました。米ツアー、そしてメジャーと、勝利を重ねていきます。
しかし、栄光ばかりではありませんでした。度重なる怪我、タイガーを世界のタイガー・ウッズに育て上げた父、アール・ウッズ氏との不仲説、女性スキャンダルなど、いくつもの試練がありました。それを乗り越え、記憶に新しい2019年のマスターズ復活優勝。
タイガーの幼少期の映像や、ポイントになる時期を知っているタイガー関係者の証言などを元にタイガー・ウッズという人間に迫ります。前編と後編合わせて3時間を超える大作です。
前編
タイガー・ウッズ選手は生後3か月でクラブを握り、8か月でコースラウンドをするようになったそうです。普通の家庭の母親は子供と公園に行っていたものの、タイガー・ウッズ選手は母親とゴルフコースに行っていたそうです。その頃からの父、アール・ウッズ氏の息子、タイガーへの指導や、タイガーとの関わり合い方について、映像やアール氏自身の証言映像をもとに公開されています。
また、若き日のタイガーと関係があった人物達(恋人、スポーツライター、雑誌編集者、元タイガー専属キャディー、など)も、カメラの前でタイガーについて証言しています。
下記は、この番組で語られているタイガー・ウッズ選手自身のコメントや、父アール氏のコメント、関係者たちの証言やコメントの一部です。
アール氏はタイガー・ウッズ選手が生後間もない頃から、息子の才能に確信を持っていたようです。それ故、幼少期のタイガー・ウッズ選手自身やその頃の教師は、ほかのスポーツにも触れさせることを望んだ時期があったようですが、アール氏はそれを拒んだとのこと。アール氏はこの頃、下記のようにコメントしています。
私が自宅のガレージでゴルフ練習をしている様子を生後間もないタイガーがすごい集中力で見ていた。
ゴルフ史に残るたぐいまれな才能。
黒人にとってはジャック・ニクラウス以上の存在になれると思っている。
息子は世界を変える存在になる。ガンジーやブッダのように選ばれしものなのだ。
私は神に選ばれ使命を与えられたのです。人類に貢献する力を持った子を授かり、立派に育て上げるという使命です。
そしてタイガー・ウッズ選手自身、父の期待に応えるように努力し、結果を出し続け、
ゴルフ界のマイケル・ジョーダンになりたい。
と言います。
しかし、タイガー・ウッズ選手の最初の恋人は言います。
試合に招待されて見に行った時のグリーンで見るタイガーは、
学校で見るタイガーとは別人だった。
たしかに、公開されたこの恋人のホームパーティーで見せるタイガーの様子は、イメージにあまり無い一面でした。タイガー・ウッズ選手から手紙で別れを告げられた元恋人はこう言いました。
私にはわかっていたのです。
タイガーが名声に苦しめられる日が来ることを。
1994年、全米アマチュア選手権制覇。そしてそこから3連覇。プロ転向表明後はスポーツビジネス面でも革命を起こしたタイガー・ウッズ選手は、ナイキとの高額契約に応じます。
ナイキは「
ハローワールド。
アメリカには僕がプレーできないコースがある。肌の色のせいだ。 ハローワールド。僕にはまだ早いって?そっちは準備できてる? Just do it
1997年マスターズ。オーガスタ・ナショナルGCは伝説の地であると同時に当時はまだ人種差別が残る地でもありました。人種差別を理由とする脅迫を受けていたタイガー・ウッズ選手。
父は言いました”明日は一番難しいラウンドだが、自分らしく戦えば必ず報われる”と。
優勝が確実だったタイガー・ウッズ選手。
歩いていると涙が出てきた。長年の夢がかなうのだと。
若き英雄として、ゴルフ界、スポーツ界を熱狂させていくタイガー・ウッズ選手。
元専属キャディーのスティーブ・ウィリアムズはこう言います。
ある時、高速道路を走っていると、タイガーが”車を止めて”
と言った。トランクからクラブを取り出し、 路肩で素振りを始めた。トロントの高速道路でスイングの練習だ。 彼は思い立ったらすぐに実行する。 ホテルに着くまでなんて待っていられない。すぐにやるんだ。 そんな選手ほかにいないよ。
他にもスポーツライターがタイガー・ウッズ選手の”完璧”を求める姿勢について証言します。また、雑誌編集者は2000年の全米オープンの圧倒的なプレーぶりを語ったりしています。
メジャー6勝のニック・ファルド氏は、タイガー・ウッズ選手のデビュー当時同じフィールドにいた選手ですが、当時のタイガー選手についてこう述べています。
ゴルフ界の様々な記録をタイガーが塗り替えると感じた。
実際、様々な記録を塗り替えていくタイガー・ウッズ選手。しかし、本人の意思とは無関係に人々の熱狂が怪物を育て上げていった様子が、様々な関係者の証言をもとに明かされます。常軌を逸するほど、人前に出るといつも大騒ぎになったそうです。
タイガー・ウッズ選手自身、自分の異常な人気に内心とても戸惑っていたそうで、
プライバシーを失ったことを残念に思います。常に誰かが私生活に踏み込んできてつらいです。
と語りました。
得た名声が苦しめ始めた息子に対して、父アール氏は何とかなだめようとしたものの、”父さんには分からない”と突き放したそうです。そして、この頃からアール氏とタイガー・ウッズ選手の関係は悪化し、両者の間に重たい空気が漂い始めたとのこと。
そのようなタイガー・ウッズ選手の苦しみを表す、証言があります。なんでも、一時期、異常なまでにスキューバダイビングにはまっていたようで、海の底にある静けさと安らぎを愛したとのこと。ありのままでいられるから、と。
魚は僕が誰だか知らないだろう。
2000年のタイガー・ウッズ選手は絶好調でした。
元専属キャディーのスティーブ氏は言います。
他のゴルファーとは違い、タイガーは大げさに祝ったりしない。
すでに次の試合のことを考えているからだ。
うんざりするほど騒がれた。
当時のゴルフ界はその話題一色だったよ。
そして、その2001年のマスターズ。一対一の様相を呈することになったのですが、その相手が長きに渡り、タイガー・ウッズ選手のライバルとなる5歳上のフィル・ミケルソン選手。
タイガーは彼の背中を追っていた。
タイガーはフィルの天賦の才に気付いてた。
でもその才能を磨こうとしない彼のことを軽蔑していた部分もある 。当時は太っていてタイガーより見劣りしたしね。
クルティダ(タイガーの母)
はフィルに辛らつで体重のことをよくいじってた。 左利きの彼のことを”おデブ”と。
マスターズの最終日。専属キャディーだったスティーブ氏は振り返って13番ホールのプレーについて次のように語っています。
13番ホールでは先にティーショットをしたミケルソンはグッドショット。次に打つタイガーはあえて3番ウッドを選択して、ミケルソンをオーバードライブしてミケルソンの精神を揺さぶり、さらには「3番ウッドでこんなに飛ぶの?」と聞いてきたミケルソンに対して「いつもはもっと飛ぶ」と。タイガーはこんなイタズラをよくしかけた。フィルはここから調子を崩し立ち直れなかった。
結果、マスターズ優勝。メジャー4連勝。タイガースラム達成。
スポンサーとの大型契約は加速し、ナイキ、アメリカンエクスプレス、タイトリスト、ビュイック、などと契約を結んでいきます。これらの合計はマイケル・
この頃、
アール氏は言いました。
ある時タイガーと激しい口論になったんです。
息子が抱えている問題は私には対処できないと言うんです。父親業とビジネスの両立は無理だと。
1993年、タイガー・ウッズ選手は父アール氏について問われこう答えたそうです。「
しかし、月日が流れ、タイガーの成長とともに親子の衝突は増えます。アール氏は女癖が悪くてこじれることもあり、品行方正なタイプではなかったようで、のちにアール氏は、テレビ番組のインタビューでは「息子から何を学んだ?」という質問に対して、
理解と忍耐。
と答え、「子育てで大切なことは?」という質問に対しては、
信頼と尊敬を得ること。
と答えています。
そんなアール氏は74歳で死去。二人に近い関係者はこう言います。
タイガーとアールが不仲だったのはほんの一部。全体で見ればアールは良いパパだった。タイガーにとってアールは恩人だ。
アール氏が亡くなった年に、タイガー・ウッズ選手は全英オープンで優勝。ウィニングパット後、アール氏のことを思いながらキャディー、スティーブ氏の胸で泣きました。そして、その後、18番ホールグリーン脇で待っていた、結婚した(のちに離婚)エリン・ノルデグレンさんの胸でも泣きました。
後編
アール氏の死後から後編が始まります。張っていた糸が切れたかのようにラスベガスで豪遊するタイガー・ウッズ選手。そして、あの女性スキャンダル。アール氏の女性関係を絡めて、タイガーの幼少期に落とした影と関連付けながら関係者たちの証言をもとに整理されていきます。
このように、後編は女性スキャンダルネタが多く占められており、この部分について割愛します。
次にタイガー・ウッズ選手の怪我。検査をしたら前十字靭帯がないことが分かりました。医師は「靭帯の再建手術が必要だ」と言ったものの、それは後回しにしてトレーニングを優先させました。
そして、あの歴史に残る全米オープンの死闘です。この時の左膝の状態は最悪で、普通なら試合に出られる状態ではありませんでした。キャディーのスティーブ氏は、試合中、苦痛に顔をゆがめるタイガーに対して「もう辞めよう、キャリアが台無しになる」と言うと、タイガー・ウッズ選手はこう言ったそうです。
ふざけるな、僕は勝つ。
タイガー・ウッズ選手と歴史的な死闘を演じた、ロッコ・メディエイト選手の登場したり、スティーブ氏が、専属キャディー契約解除の真相を告白したりしながら、後編は進んでいきます。
過去最速で年間4勝を上げた2013年。2015年のアプローチショットのスランプ。2017年の逮捕騒動時は、世間から「タイガーは終わった。引退するべき。もう勝てない」と言われました。
しかし、普通に生活するために受けた背中の手術が大きく好転します。
脊椎固定手術を受けて、体をひねっても痛みを感じなくなった。それでチップショットの練習を始めた。急に”またやれるかも”という考えが浮かんだ。だから次はスイングを組み立て始めた。
仲間とゴルフを、そしてファンとトーナメントを楽しむタイガー・ウッズ選手。そして2019年のマスターズ、復活優勝へと向かうのでした。