2007年に『マンシングウェアオープンKSBカップ』を15歳で制して時の人に。翌年プロ転向すると17歳にして1億円を稼ぎ、09年には18歳の史上最年少賞金王に。10年の『中日クラウンズ』最終日には世界主要ツアー初の58をマークした。13年からは米国ツアーを主戦場に。2位は2度あったが未勝利。17年秋から国内に戻った。18、19年は選手会長を務める。19年の『日本プロ』では劇的なイーグルでプレーオフを制して3年ぶりの優勝。『セガサミーカップ』では4打差の快勝で自身初の2試合連続Vを飾り、最終戦の『日本シリーズ』も制して14人目の生涯獲得賞金10億円突破を達成。28歳での大台到達は最年少記録となった。以降、優勝から遠ざかっていたが22年の『三井住友VISA太平洋マスターズ』で星野陸也とのプレーオフを制して3年ぶりの通算18勝目。10代、20代、30代で同一大会を制する快挙でもあった。