『宮里藍』の冠が付いたトーナメントが誕生

宮里藍サントリーレディースオープンゴルフ
出典:http://number.bunshun.jp/articles/-/828909
日本ツアー

2017年9月で現役を引退した宮里藍さん。2018年、その宮里藍さんの名前がついたトーナメントが誕生することが発表されました。これまでの『サントリーレディースオープン』が『宮里藍 サントリーレディースオープン』になるのです。スポンサーとして宮里藍さんの現役時代を支えてきたサントリー。宮里藍さんとサントリーの固い絆を証明する発表となりました。

2017年5月26日、宮里藍選手の今シーズン限りでの引退が発表されました。31歳という若さでの早い引退に驚きの声が各所であがり、正に”衝撃の引退発表”となりました。2003年、高校3年生の時に『ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント』でアマチュアで優勝するなど、”藍ちゃんフィーバー”を巻き起こし、日本の女子ゴルフ界を引っ張って来たプロゴルファー宮里藍の足跡を振り返りたいと思います。

 

略歴

出身:沖縄県国頭郡東村

生年月日:1985年6月19日(優作選手と同じ誕生日)

出身校:東北高校

日本女子ツアー勝利数:15

USLPGAツアー勝利数:9

ヨーロッパ女子ツアー勝利数:2

世界ランク最高位:1位(2010年6月21日付)

 

宮里3兄弟

宮里家は3兄弟の家族で、藍選手は末の妹になります。そして、長男の聖志、次男の優作とともに兄弟3人全員、父優氏からの指導のもと、プロゴルファーとなり、藍選手個人としてだけでなく『宮里3兄弟』としても、広く知られています。3兄弟の中で1番早くツアーで優勝したのが藍選手ですが、2003年の藍ちゃんフィーバーが起きる前までは、優作選手の方が『大器』として期待を持たれていました。アマチュアとして出場した(東北福祉大学4年時)三井住友VISA太平洋マスターズでの優勝争いなどの実績を挙げていたからです。”優作の妹”として認知されていた藍選手は、期待されてはいたものの、「プロの中に入るとどうか」と言われていました。

〈3兄弟のツアー初優勝〉

宮里聖志(1977年2月28日生まれ):2004年 アジアジャパン沖縄オープン

宮里優作(1980年6月19日生まれ):2013年 日本シリーズJTカップ

宮里藍(1985年6月19日生まれ):2003年 ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン

 

スイング

ゆったりとしたテンポのスイングながら、小さな体をダイナミックに使ったスイングが藍選手の持ち味でした。あの松山英樹選手も参考にしていたほどです。(ゆったりとしたテンポは似ていますね)

その他、バックスイングでのノーコック、トップの位置でフェースが空を向くシャットフェースが特徴的でした。

 

プロ入り後

先に述べた『ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント』優勝により、プロ宣言をし。史上初の高校生プロゴルファーとなりました。そして、20歳3ヵ月という史上最年少での日本女子ツアー通算10勝など、輝かしい実績を挙げ、2006年からUSLPGAへと主戦場を移します。

USLPGAでの初優勝は2009年のエビアン・マスターズで、この年は賞金ランキングが3位となり飛躍の年となりました。翌2010年には年間5勝するなど実績を積み重ねてきます。そして、世界ランク1位になるなど、藍選手自身念願の”メジャー制覇”にも期待がかかりました。ここ数年はツアーで優勝どころか優勝争いすらできない状態が続いていましたが、らしさを取り戻し、復活してくれると信じていたファンも多かったのではないでしょうか。しかし、その願いは叶うことなく2017年5月26日の引退発表となりました。

引退はするものの世界の『AI MIYAZATO』の名は、今後も日本女子ゴルフ界、更には世界のゴルフ界の中で生き続けていくことでしょう。

これからは名前がつくトーナメントもあることですし。

昨今の日本の女子プロゴル界の隆盛は、藍選手の存在無くして有り得なかった事は言うまでもありません。

 

5月29日の引退会見

藍選手らしい、とてもすがすがしさと、たくましさが感じられた会見でした。すらすらと記者の質問に丁寧に答えながらも、「メジャーに勝てなかった事に悔いはないか?」の質問に対する「今シーズンはまだ終わってない。メジャーに出るのでまだ勝つ可能性がある。最後まで全力を尽くす」という返答は、元来の負けん気の強さを感じさせもしました。